ブログ ~管理人のエンタメ活動日記~

安室奈美恵ラストドームツアーチケットは超超激戦、最後は海外公演か定価トレード

昨日(2/17)安室奈美恵のラストドームツアー『namie amuro Final Tour 2018Finally~』がスタートしました。

 

今回のツアーのチケットを取るのは本当に大変ですね。

当初、日本での15公演65万席に対して320万以上の応募があったそうです。単純に倍率を計算しても4.9倍になります。

その後、福岡と札幌の追加公演が発表され、最終的には17公演75万席に対し510万を超えた応募ということで、実に6.8倍とさらに倍率が高くなりました。

追加公演発表後に応募数が190万増えていますが、追加2公演と15公演の各会場の客席を再調整し増設できたのは10万席のようです。

15公演でチケットを取れなかった人達が最後のチャンスと追加公演に怒涛の申込みをきっとされたのでしょう。追加公演は比較的取りやすいんじゃないかと想像していましたが、実際には通常の公演以上の倍率になったのかもしれません。

 

私の周りの友人もことごとく外れています。

ちなみに私はFAN SPACE10年くらいで、

毎ツアー23回は安室ちゃんを見てきました。

 

今回FC枠では3公演を申込みました。

おそらく東京ドームはどの公演も厳しいだろうと思い、東京はあえて外しての挑戦。

 

結果は

2/25福岡 →○当選

4/25大阪 →○当選

4/26大阪 →×落選

21敗となりました。

 

チケットが取れない人が多い中、2回行ければ十分ですよね。

ちなみに昨年までのホールツアーLIVE STYLE 2016-201721敗、

アリーナツアーLIVE GENIC2015-2016は3勝1敗でした。

やはり安室ちゃんを見るにはFC入会が一番でしたね。

 昨日の様子は今日のスポーツ紙で大きく扱われていますので、

少しネタバレになりますが、情報をまとめてみます。

 

オープニングは「・・・・」

これはまだ初日なんでやめておきましょう。

私は見て知ってしまいましたが・・・

 

ファンからの楽曲リクエスト上位の中から選曲された24曲に「Finally」収録の新曲6曲の計30曲のセットリスト、2時間40分の公演だったようです。

安室ちゃんは長いツアーだと前半と後半で2~3曲程度替えることがありますが、今回はどうでしょうね。

 

現時点でチケットが取れていないととても厳しいところですが、

もしお金と時間に余裕があるなら中国、香港、台湾公演を狙うという手もあります。

私も日本公演が全て外れていたら狙っていたかもしれません。

さすがに海外公演なら日本公演ほどの倍率はならなそうです。

中国公演はFC2次先行受付をしているようですし。

 

また各公演直前には「定価トレード」も行われているので、

ダメ元で申し込んでみるのも何もしないであきらめるよりいいでしょう。

 

ただし、せっかく取れたチケットを手放す人は相当少ないので、これまたかなりの激戦になるでしょうが。

namie amuro Final Tour 2018 Finally

2018217日(土)愛知県 ナゴヤドーム

2018218日(日)愛知県 ナゴヤドーム

2018224日(土)福岡県 福岡ヤフオク!ドーム

2018225日(日)福岡県 福岡ヤフオク!ドーム

2018227日(火)福岡県 福岡ヤフオク!ドーム(※追加公演)

2018414日(土)北海道 札幌ドーム

2018415日(日)北海道 札幌ドーム(※追加公演)

2018421日(土)大阪府 京セラドーム大阪

2018422日(日)大阪府 京セラドーム大阪

2018425日(水)大阪府 京セラドーム大阪

2018426日(木)大阪府 京セラドーム大阪

201852日(水)東京都 東京ドーム

201853日(木・祝)東京都 東京ドーム

201855日(土・祝)東京都 東京ドーム

201856日(日)東京都 東京ドーム

201862日(土)東京都 東京ドーム

 201863日(日)東京都 東京ドーム

 

スポンサードリンク

0 コメント

26年ぶりの故郷出雲はどげですか、お父さん

出雲到着。


父が出雲に帰るのは26年ぶり。
商売に失敗し、新天地を求め出雲市駅から普通列車で東京を目指した1992年3月以来の出雲。

 

悩み苦しんでいた当時、何もかも捨てて再出発した父はもう出雲には帰れない、帰らないと決めていたのでしょう、あの日以来一度も出雲に帰りたいとは言いませんでした。
一度くらい元気な時に祖父母の墓参りに連れてきてればとも思いますが、後の祭り。

 

お父さん、久々の出雲はどげですか?
駅前もだいぶ変わってるね。
もうそっちで会ってるかもだけど、おじいちゃんおばあちゃんのお墓参ろうか。
おばあちゃんが眠ってからは初めてだよね。
ようやく来たかって怒られるかもね。

 

スポンサードリンク

0 コメント

米八さん、人生で一番苦しい時期に父を雇って頂きありがとうございました

大変私的な話で恐縮なのですが、お礼の言葉をお伝えしたく米八さんのページに書き込ませて頂きます。

 

実は1月30日に父が永眠したのですが、
父が最後に働かせて頂いたのが米八さんなのです。

 

もう26年ほど前、1992年頃からおそらく5年くらいお世話になったかと思います。
地元での商売に失敗し、新天地を求めて父と2人上京しました。
当時56歳でなかなか仕事が見つからないなか、雇って頂き、父も恩を返そうと必死でした。
当初は笹塚のアパートを与えて頂き、後に米八ビルの3階、右手一番手前の部屋に住まわせて頂いたと記憶しています。

私も久我山で新聞奨学生をしながら貧しい生活をしていましたが、近くで父ががんばっている姿を見てなんとか大学を卒業することができました。
月に1,2度は父と会っていたでしょうか、風呂なしのアパートに住んでいた私にとって米八ビルの父の部屋で過ごす時間はとても幸せなものでした。

 

人生で一番苦しい時期に父を雇って頂き本当にありがとうございました。
もう20年以上前のことで、当時を知っている方はいらっしゃらないのかもしれませんが、父が亡くなり、父の人生を振り返った時、米八さんで働けたことはとても大きかったと思います。
渋谷の東横のれん街やひばりが丘のパルコで働く姿は本当にいきいきとしていました。

 

2年前からは別れていた母の実家山口で父母私の3人で暮らしてきました。
桜の時期には上京し、父の思い出の地を巡ろうと思っております。
その時には米八ビルにも伺いビルの様子を写真に撮らせてもらえればと思っておりますので、お許し下さい。

父が安らかに永眠できたのも米八さんのおかげです。
本当にお世話になり、ありがとうございました。

 

(スポンサードリンク)

横浜にいた頃の父の写真

父の旅立ちから5日が経ちました。
まだ5日なのにお別れをしたのがはるか前のような気がしています。
ふと気づくと父に語りかけている自分がいます。
「お父さん、おはよう」
「おとうさん、寒いね」と。
ドラマなんかでよく見るシーンをまさか自分がしているとは。
最愛の人を失うと自然とこうなるのでしょうか。

後悔はしないと決めたのですが、どうしてもこうしておけばよかったと思うことが出てきます。
中でも写真や動画をあまり撮ってこなかったことが悔やまれます。
特に父の声を聴くことができる動画をもっと撮っておけばよかったと。
でも幸い、12/28に病院での父との会話を1分程ですが撮ることができているのでこの映像をこの先何千回と見続けることになりそうです。

写真については山口に来てからはほとんど撮ってなかったのも失敗でした。
ただ横浜にいた頃は毎年家の前にある大通公園の桜が満開の時にエルと散歩している姿を撮ってましたし、5月に行われるザよこはまパレードを楽しんでいる父の姿も撮っていたのでそのデータが出てきた時はうれしかったです。

最後は
食べることも
歩くことも
お風呂に入ることも
便を出すことも
おしっこを出すことも
できなくなった父。
そんな父が元気にエルと散歩している姿を見ると
こんな何気ない時が幸せだったんだなぁと思います。

普段はあまり笑ったりしない父でしたが、
写真の中ではいい表情をしてくれているのもいくつか
見つかりました。
これからはその写真をプリントして
「お父さん、いい顔してるねぇ」
と笑いながら父に語りかけていこうと思います。
時には涙ぐみそうですが。

こんなに笑うことってめったになかったので、

この写真を見るとうれしくなります。

これもなかなかいい表情。

本当に元気そう。

横浜大通公園の桜の下。

朝昼夕方と毎日3回、家の前の大通公園で

犬の散歩をしてました。

そして、この座っている場所でエルを

ブラッシングするのが父の日課でした。

毎年楽しみにしていた

ザよこはまパレード。

パレードだけじゃなく父の写真を

撮っておいてよかった~

 

(スポンサードリンク)

父の葬儀を終え

無事葬儀を終え、父の旅立ちを見送ることができました。
さんざん泣いたので、通夜の時は全然大丈夫だったのですが、今日の葬儀喪主としての挨拶ではやはりダメでした。
身内だけの家族葬でよかったです。

でも父が作った40年前の家族、離婚して離れ離れになっていた父・母・僕・妹が揃っていたからきっと喜んでくれたんじゃないかと思ってます。

いつまでも悲しんでばかりではいられません。
できることはやったし、父も満足してくれていると思うようにしました。
昨年の9月からは父のためだけの生活だったので、今日からは自分のための生活に戻します。父も「これからの人生を生きろ」と言ってくれていたし。

一番近いところでは安室ちゃんのライブ、福岡公演のチケットを確保しています。秋以降買ったCDはほとんど聴けてなかったのでこれから「Finally」を聴きこみます。
状況によっては行けないかなとも思っていたけど、楽しんでこいって言ってくれてるんだよね、お父さん。相変わらずだなって言われそうだけど。

父の遺影。

いい表情でよかった。

 

(スポンサードリンク)

お父さん、あなたの子でよかったと心から思います

今日は自宅で父と過ごせる最後なので、朝食は父の好きな物を取りそろえました。
山崎のダブルソフトにコーヒー、スーパードライにハイライト。
ダブルソフトにマーガリンとはちみつをたっぷり塗って食べるのがお気に入りで退院した11月、元気な頃は1日に5枚食べることもありました。
コーヒーは砂糖とミルクをたっぷり入れたもの。
ビールは山口に引っ越してからは飲まなくなりましたが、
たばこは3日で2箱のペースで入院直前まで吸ってたので
久々に吸えて喜んでもらえたかな。

最近はいつも帽子をかぶっていたので、遺影にする写真には苦労しましたが、探していたらちょっと古いけどいいのがみつかりました。
10年程前、我が家にエルが来た頃の写真でとてもいい顔をしています。ずっと柴犬を飼いたがっていたので、満足気な顔。エルも小さくてかわいかったなぁ。

父はいつも僕のそばにいてくれてました。
兵庫、島根、東京、神奈川、山口と私が生きてきた45年全ての時に。
大学に受かり上京した時は、父が出雲で商売に失敗し新天地を求めて一緒に普通列車を乗り継いで東京に来ました。
二人ともお金はなく、私は新聞奨学生になり、父は雇ってくれたおこわ屋さんで一生懸命働いてくれました。
26年ほど前のこと、父も56と若くはなかったのですが、渋谷の東横のれん街やひばりが丘のパルコで働いていた頃はいきいきしてました。

杉並区久我山の風呂なしの安アパートに二人で住んでいましたが、報知に入社し、30歳で横浜のマンションが買えた時は本当に喜んでくれました。

ずっと芸能記者になりたかったのですが、「お前なら芸能記者になれる」といつも言ってくれていました。
逮捕される直前のASKAが玉置浩二のライブに飛び入りで参加したニュースで会社から表彰された時は賞状と社内報を額に入れ飾って喜んでくれました。

早期退職を選ばず、会社に残っていたら芸能記者になれていたかもしれませんが、逆に記者なんてやっていたら父の最後の数か月こんなに長く一緒にいられることはなかったでしょうから決断は間違っていなかったと心から思えます。
ただ父の生きているうちにHPで成功を収めることができなかったので、落ち着いたらどんどん更新してライブに関しては日本一のサイトにします!

父との会話をできるだけメモはしていました。
12/4には「お前には迷惑かけたな。長ないのはわかってる。これからの人生を生きろ」と。
「明日は休みか?」と聞かれ「うん、明日は休みだからずっといるよ」と答えると「そうか」と言ってうれしそうに笑う顔は子供のようでした。
大晦日には「いい思いさせてくれてありがとう」そして「元気で」と言って顔をなでてくれました。

1/5には「最後に一緒に風呂入ろう」と言ってくれたけど、かなえられなかったですね。
入院する直前の数か月は一緒に風呂に入ってましたが、本当にうれしそうで「死ぬまで一緒に入るぞ」と言ってました。
一緒に風呂に入る時間やお互いにバリカンで髪を切りあっていた時間が本当に本当に幸せでした。

最後の言葉となったのは1/25、「もうええ」「さよなら、元気で」でした。

私の人生において愛情を一番注いでくれたのは父ですし、
私が人生で一番愛していたのは間違いなく父です。
父がいない世界は本当にさびしいです。

平井堅の「写真」という歌があります。
「あなたの子でよかったと 心から思う」
苦しくつらい時期もありましたが、お父さん、あなたがいてくれたから今まで生きてくることができました。

これからお通夜、葬儀となりますが間違いなく泣き崩れてしまうと思います。
「泣くな」と天国から言われそうですが、最後だから許してね、お父さん。
あなたの子でよかったと心から思います。

遺影にした写真。
10年前念願だった柴犬をペットショップで買って

家に連れて帰った時の表情。
満足気ないい顔をしてくれています。

家での最後の朝食。

父の好きな物をそろえました。

「父の葬儀を終え」 (2018/02/02)

 

(スポンサードリンク)

父が今朝、永眠しました

父が今朝、永眠しました。

9月に大動脈瘤が見つかってからの闘病生活。
胃瘻を付け、10月末には退院ができ
50日程好きだった自宅での療養。
要介護4になった父を家で看るのは本当に大変で、
訪問看護や介護保険のありがたさを実感しました。

12/21に痛みがコントロールできなくなり、救急車で運ばれ
再度入院。
「もう(家には)戻れんな」と言った父に
「大丈夫戻れるよ」と言った言葉は嘘になってしまいました。

12/28には主治医から
「今回は厳しいかも」と。
12/29から1/16までは病院に付き添いで寝泊まりする生活になりましたが、新年も82歳になる1/7の誕生日も迎えることができました。

今朝6:30に病院から電話があり、「血圧が下がっている」と。
覚悟はしていましたが、10:45旅立ちました。

家が大好きだった父がようやく家に帰って寝ています。
通夜が2/1になったので、あと2日一緒に寝ることができます。

ずっと痛みに苦しんできましたが、今朝は苦しむ様子はなく旅立ってくれました。
エンゼルエアされた父の顔は穏やかで生きてる時にも見せてくれなかったようないい顔なんですよ。顔をのぞく度に笑ってしまいます、「生きてる時にもそんないい顔見せてくれよ」って。

好きだったハイライトに火をつけ、ビールも用意し、プロレスも見せてあげなきゃ。
隣で愛犬も不思議そうにお父さんを見ているよ。

真ん中で庭いじりをしている父。
こんな何気ない時も幸せだったなと思います。

 

(スポンサードリンク)

  スポンサードリンク