米八さん、人生で一番苦しい時期に父を雇って頂きありがとうございました

大変私的な話で恐縮なのですが、お礼の言葉をお伝えしたく米八さんのページに書き込ませて頂きます。

 

実は1月30日に父が永眠したのですが、
父が最後に働かせて頂いたのが米八さんなのです。

 

もう26年ほど前、1992年頃からおそらく5年くらいお世話になったかと思います。
地元での商売に失敗し、新天地を求めて父と2人上京しました。
当時56歳でなかなか仕事が見つからないなか、雇って頂き、父も恩を返そうと必死でした。
当初は笹塚のアパートを与えて頂き、後に米八ビルの3階、右手一番手前の部屋に住まわせて頂いたと記憶しています。

私も久我山で新聞奨学生をしながら貧しい生活をしていましたが、近くで父ががんばっている姿を見てなんとか大学を卒業することができました。
月に1,2度は父と会っていたでしょうか、風呂なしのアパートに住んでいた私にとって米八ビルの父の部屋で過ごす時間はとても幸せなものでした。

 

人生で一番苦しい時期に父を雇って頂き本当にありがとうございました。
もう20年以上前のことで、当時を知っている方はいらっしゃらないのかもしれませんが、父が亡くなり、父の人生を振り返った時、米八さんで働けたことはとても大きかったと思います。
渋谷の東横のれん街やひばりが丘のパルコで働く姿は本当にいきいきとしていました。

 

2年前からは別れていた母の実家山口で父母私の3人で暮らしてきました。
桜の時期には上京し、父の思い出の地を巡ろうと思っております。
その時には米八ビルにも伺いビルの様子を写真に撮らせてもらえればと思っておりますので、お許し下さい。

父が安らかに永眠できたのも米八さんのおかげです。
本当にお世話になり、ありがとうございました。

 

(スポンサードリンク)